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ピアノ・エチュード大観その2 [コンサート]

ピアノ・エチュード大観 ――1830年代のエチュード史――
第2景 フレデリック・ショパン(1810-1849)  ジギスモント・タールベルク(1812-1871)
 F.Chopin: エチュード集 Op.10
 S.Thalberg: 12のエチュード Op.26
 (Encore) F.Chopin: エチュードOp.10 No.6
  金澤 攝(Pf.)

先週の金曜日、金澤攝さんの第2回コンサートに行ってきました。
いつもなら当日にコンサートレポを仕上げるのだけれども、今回はちょっと…


第1景よりも相当難易度が高い今回の曲集。ショパンは超有名だし、タールベルクという人は
知らなかったのだけれど、配られた資料によればヴィルトゥオーゾ的なオペラ・パラフレーズを
得意とした人だというので、嫌な予感はしていたのだ。
もう、なんだかねぇ… とんでもない演奏会でした。

ショパンがテクニックあってなんぼの曲なんだということを、こんなかたちで実感することに
なろうとは。曲として、崩壊している。知ってる曲だとはとても思えないほど。
そもそも、知られざる作曲家の発掘という金澤攝さんのポリシーからすると、ショパンを今更
紹介することに意味があるのだろうか?
エチュードの歴史としてショパンを扱わないわけにはいかないという研究者としての姿勢は
理解できるとしても、だからといって名演がたくさんあるこの曲を、わざわざこの人が回らない
指で弾く意味は? 
今までの演奏は初版の楽譜に忠実ではないというとしても、それに輪をかけてひどい
今回の演奏で「コレが真物だ」といわれても…
なんだか悪酔いしてしまった。

タールベルクも、たぶんとてもいい曲だと思うのだ。演奏があんまりなので、推測しかできない
けど、たぶんヒラーよりも私は好きなタイプの曲だと思う。
華やかに鍵盤を縦横に駆け巡るアルペジォの合間に、中音部で浮かび上がる旋律、まるで
3本の腕で弾いているような演奏方法は、タールベルクが得意としたものらしい。
それにはアルペジォの粒が揃っていること、旋律がしっかりと浮かび上がることが最低条件。
きちんと音が出せていない、けれども妙に耳障りなお団子アルペジォに埋没する旋律。
ちょっとこれは… 知られざる作曲家の魂を慰めるどころか、私なら化けて出るぞ。

今回はピアノを鳴らすどころか、まともに弾けていない――曲として成立していなかったのです。
知らない作曲家のエチュードというのは興味があるし、ついてくる資料も興味深いのですが、
今後の演奏会はどうしようかなぁと思案中。21世紀美術館のコンサートでこの人をずいぶんと
気に入って、すぐに通し券を買っていた友人ですら、後半はどうしようかと言い出す始末。
かんたんな曲ならそれなりに楽しめなくもないと思うのだけど、この時代のエチュードは
どちらかといえばテクニックをひけらかすために作られたみたいだし…

それでこの人が、今年度の最後には演奏不可能とまで言わしめるリストのパガニーニ初版を
やるというのだから、まあそれはどんなことになるのか、少しだけ怖いもの見たさの興味が
なくはないのだけれど、聴くと後悔しそうな予感もひしひしとあるのです。
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