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ガヴリリュク・ピアノリサイタル [コンサート]

2011.6.7(火)19:00~ @ハーモニーホールふくい(福井県立音楽堂)大ホール
L.v.Beethoben: ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」
F.F.Chopin: 幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66
         2つの夜想曲 ハ短調 Op.48-1
                  嬰ヘ短調 Op.48-2
         スケルツォ第1番 ロ短調 Op.20
  *  *
S.Rachmaninov: 楽興の時 Op.16
S.Prokofiev: ピアノ・ソナタ第7番 変ロ短調 Op.83 「戦争ソナタ」

(Encore) A.Scriabin: エチュード 嬰ハ短調
       A.Filippenko: トッカータ
       S.Rachmaninov=Kocsis Zoltán: ヴォカリーズ Op.34-14
       F.Liszt=W.Horowitz: ラコッツィ行進曲
       A.Scaratti: ソナタ イ長調

 アレクサンダー・ガヴリリュク(Pf.)


私のお気に入りのピアニストの一人、ガヴリリュクが来日するというので、コンサートの
日程を調べたところ、なんと北陸にも来るではないか!
どうもガヴリリュクは日本ツアーでは毎回福井に来ているらしい。
なぜ金沢には来てくれないのかな?

ということで、本日は仕事を16時半ごろに切り上げて、車を飛ばして一路福井へ。
福井県立音楽堂、ハーモニーホールふくいは、畑の中に突如としてあらわれるとても
立派なコンサートホールだった。建物もとてもお洒落で、ガラス張りのホワイエからは
周りにあしらわれた池を楽しめ、日が暮れるとそこに色とりどりのライトが灯される。
外から見ると煌びやかなホワイエがその池に映えてとってもステキ。
建物だけで見ると、石川県立音楽堂は完全に負けてます。
もっとも、活用度、実用性ではOEKの本拠地である石川県立音楽堂とは
比較にならないと思うけどね!


さて、最初の曲はベートーヴェンの月光ソナタ。
第1楽章、「月光」の名のもとになった静かなメロディは、ちょうど今くらいの時期の、
生暖かい夜、湖にボートを浮かべ、気怠く横たわっているような、そんなイメージだった。
風が立てる漣もない、とろりとした黒い水にゆらゆらと時折り輪郭をゆがめて浮かぶ月。
第2楽章は、やわらかいガーゼで生まれたての赤ちゃんの頬をそっと拭うような、そんな
柔らかさに満ちた演奏。
第3楽章は、小さな、透明な丸いぷにぷにした粒が勢いよく飛び出してくるような、
軽やかでとてもそろった粒の美しい音楽だった。

お次はショパン。これも、きっちり揃った音の粒が美しい。
今度はぷにぷにというよりは、枕の中とかに入ってる発泡ビーズのような手触りの音。
気持ちよくて、やわらかくて、でも跳ね返すような弾力性はない、そんな音。
幻想即興曲を生で聴くのは、アレクセイ・スルタノフのアンコール以来だろうか。
今は亡きアリョーシャの、とても衝撃を受けた十数年前のリサイタルを思い出した。
ずいぶんと異なるようで、どこかに相通ずるものもある、そんな演奏だった。
ノクターンは、ともかく甘い… 郷愁、遣る瀬無さ、悲哀、そういうものを感じるのだが、
なんというのか、良くも悪くも、とっても甘いのだ。私が勝手に抱いているショパンの
あまり好ましくはないイメージと、あまりにもぴったり一致してしまったせいだろうか。
ショパンは本当に故郷を愛していたと思うんだけど、なんというか甘ちゃんなイメージが
あるのだ。悲しんで、繊細な心をとても痛めて、病んでしまうほど傷ついて、でもそれだけ、
何にもしてない、ロマンティックで感傷的な、甘えたの究極の草食系男子、みたいな。
スケルツォでさえ… というか、こちらの方がなお、そういう印象は強かった。

それにしても、昔のCDの印象では、ガヴリリュクはもっと若さと勢いが先行するような
イメージがあったのだが、本当に美しい音(特にピアニッシモの音の繊細さといったら!)、
絶妙のタメ、そういうものをとても繊細に自由自在に駆使している。
穏やかな曲(あるいは箇所)では特に抑え目のテンポが本当に絶妙な甘さを醸し出して、
これ見よがしではない、自然な色気を撒き散らしている。

休憩をはさんで、ラフマニノフの、全6曲からなる「楽興の時」。
細密画のごときこまやかさに加え、ひと粒一粒がキラキラ光る色鮮やかな微細な砂で
描かれた砂絵のような、そんな印象だった。ショパンのときのロマンティックさよりは、いや、
やっぱりロマン派っぽくはあるのだけれど、甘く感傷的ないわゆる「ロマンティック」ではなく、
ドイツ・ロマン主義の幻想小説のような雰囲気。
ウンディーネやコボルトが闊歩しているような。ときに日本の妖怪なども交じっているような
感じ。ロシアやウクライナの伝承についてはよく知らないのだけど、やっぱり同じようなものが
伝わっているのだろうか。

さて、今日の一番の楽しみ、プロコフィエフのソナタ。
私は勝手に「魔王のソナタ」と呼んでいる激しく不気味でおどろおどろしい曲である。
この曲の前に何人か子どもの手を引いて退席するお母さんがいたけれど、こういう曲は
教育上好ましくないせい? まさかね。
鋭い音は、魔王の爪のように長く、固く、鋭く突き刺さる。かと思うと、音が重なるところでは
ねっとりとしたタールのように次々と覆いかぶさり、だからこそふと軽い音がするとなおさら
びくりとしてしまうような不気味さを醸し出す。
超絶技巧に加えて、この変幻自在の表現力! 第3楽章の最後では少々暴走しかけた
ような感じもしたけれども、すばらしかった。

アンコールは、まずはスクリャービンの繊細なエチュードから。
アンコール曲の案内には「エチュード第9番」とあったけど、演奏されたのはホロヴィッツも
好んで弾いていたOp.2 No.1、「3つの小品集」の第1曲じゃなかった?
次に耳慣れない曲。ウクライナの作曲家、アルカディ・フィリペンコ(1912-1983)の作品の
ようである。ガヴリリュクは同郷の作曲家のこの曲をアンコールで好んで演奏するようです。
シフラ編の熊蜂の飛行みたいな、鋭く鍵盤を両手で連打する早いパッセージの続く曲。
このあたり、若いころの演奏を髣髴とさせますねぇ。
そして鳴り止まない拍手の中、3曲目、ラフマニノフのヴォカリーズ。
甘く切ないメロディが美しい。その上に、最初のメロディが再び出てくるところでは左手で
両手分の演奏をして、そこに繊細なヴェールをかぶせるように、右手が高音でキラキラと
オブリガートを奏でる。まるで花嫁の涙のよう。

いいかげん少し疲れてきたようにも見えるが、鳴り止まない拍手に応えるガヴリリュク。
おお、来ました! 
ロシアの若いピアニストのアンコールには、やっぱりホロヴィッツは欠かせないでしょう。
ホロヴィッツ編、リストのハンガリー狂詩曲第15番「ラコッツィ行進曲」!
ホロヴィッツの編曲に、おそらくは彼独自のさらなる編曲が加えられていた。
ホロヴィッツは、基本的にとにかく派手にするために、音を増やし、装飾音を納れる。
スワロでデコるみたいな、キラキラ系。それに対して、さらに加えられていた編曲は、
レースのような繊細で美しい、ロマンティックな乙女系。さらに音が増えてるよー。スゴイ。
ノリノリのホロヴィッツ盛りで盛り上がりすぎた会場は、いつまでたっても拍手が止まらない。
さらにもう一曲、穏やかなスカルラッティでクールダウン。
それでもなお拍手が止まなくて何度もステージに引っ張り出され、もう一度ピアノに
向かったか、と思わせて、置いてあったハンカチを取り上げ、それをひらひらと振りながらの、
ホントの退場。お茶目です。
もう、めいっぱいピアノを、彼のピアニズムを、満喫しました!

それにしても、ガヴリリュクって調べてみると27歳?! そんなに若かったんだ。
(ずいぶんと眩しかったけど…)
2年に1回ほどは日本ツアーをしているらしいので、また再来年、福井に会いにいこう。
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Maggie

私もガヴリリュクの大ファンです。

私は6月11日の東京オペラシティコンサートホールでのリサイタルに行ってきました。 拍手が鳴りやまない程の素晴らしい演奏だったのですが、東日本大震災の自粛ムードがまだ尾を引いているのか、お客さんはちょっと少なめで70%くらい。 福井の方ではいかがでしたか?

これから大人の男性に成長して行くにつれ、音楽の幅や深みも増して行くんだろうな~ と先々もとても楽しみです。

これからもずっとずっと応援して行こうと思ってます。



by Maggie (2011-06-13 21:46) 

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