SSブログ

マーラー・チェンバー・オーケストラ [コンサート]

2011年6月10日(金)19:00~ @石川県立音楽堂コンサートホール
J.Brahms: 交響曲第4番 ホ短調 Op.98
   *  *
J.Brahms: 交響曲第1番 ハ短調 Op.68
 (Encore) J.Brahms: 交響曲第2番 第3楽章

 マーラー・チェンバー・オーケストラ
 ダニエル・ハーディング(Cond.)


実のところ、このコンサートは行くかどうかかなり迷っていた。
火曜に福井まで遠征したせいで、いろいろとしわよせも疲れもある状況で、
とてもすてきなガヴリリュクを聴いて、けっこう音楽的に満ち足りていたのもあったし、
ブラームスは好きだけど、でもオケのみだしなぁ… と思わないでもなかったのだ。
それでも、チラシをみた時からずっととても気になっていたコンサートではあったので、
当日券で会場入り。

そしてコンサート終了後の感想。オーケストラって、なんてスゴイ! ステキ!
よくもまぁ家まで無事に運転して帰れたものだ、と自分でも感心したほどの(実際帰路は
どう帰ったのかほとんど記憶にないのだ)、恍惚、酩酊、夢見心地、無我の境地。
聴きに行って本当によかったです。


指揮のハーディングさんは、なんと大震災当日にも日本にいて、その夜に東京で予定
されていたコンサートを、中止せずに行ったそうだ(ただし電車が止まっていたせいで
お客さんは100人ほどだったらしい)。外国人音楽家の来日中止が相次ぐ中で、
また今、不穏な報道にもかかわらず日本に来てツアーをやってくれるというので、
日本のクラッシック界では株が急上昇中、だそうだ。
35歳と若いハンサムで、ちょっと黒王子っぽい?

今回のコンサート、オーケストラによってここまで個性がちがうのか、というのに驚いた。
オーケストラ・「アンサンブル」・金沢と、マーラー・「チェンバー」・オーケストラ。
名は体をあらわすというが、まさにそれを実感したのだ。

とはいっても、編成はOEKよりずいぶんと大きくて、こんなに大人数なのになぜ
「チェンバー」オーケストラなんだろう、と開演前には首を傾げていた。

音がうねり、押し寄せ、飲み込まれる。大きく開かれた場所で解き放たれた、
圧倒的な水の質感。嵐の逆巻く海ではない、穏やかなんだけど、ひたひたと満ちてくる、
せまってくる潮の、大きな船さえ軽々と持ち上げる、そんな存在感の音の波。
予期せぬその大潮に、呆然としているあいだに飲み込まれ、海底に沈んでしまったような
感じがした。そしてそこは、本当に「母なる海、豊饒の海」だった。
さまざまな生き物が自由自在に泳ぎまわり、どこにもそれを遮る無粋な邪魔はない。
そして、何もかもを飲み込んで、こともなげに受け容れてしまう、懐の深さ、包容力。
OEKの演奏から受ける自由さが、羽のような、ひらひらと軽やかな自由さならば、
MCOは伸びやかな、広々とした、開放感あふれる自由さなのだ。

このオーケストラのメンバーは、みんながソリストなのだ、と思った。
見た目だけでも、みんなとても表情豊かで、全身で音楽を奏でている。
パートの一員、ではない、自分が、自分の音楽を奏でている。
それが集まってこれほどまでに調和した音楽ができるのも本当に驚きなのだけれど、
ああそうか、それで「チェンバー」オーケストラなのか、と納得した。
ふつう室内楽では、数人が集まって、それぞれ別のパートを演奏する。
自分のパートは自分だけのもので、お互いに自分の音楽を主張しあい、ぶつかり合って、
議論をし、ときには喧嘩もしながら、ひとつの曲を作り上げていく。
たぶんこのオケでは、全員でそういうことをやっているんじゃないか。
議論の果てに、みんなが納得して、同じ方向を向いて、でも個性はちゃんと生きている。
そんな印象を受けた。そして、そんなことがいったい可能なんだろうか、と思った。

日本では、「和」を重んじる国民性もあるのだろう、ものすごく納得がいかないという
ほどのことでない限り、多くの人が、まぁいいか、と全体に合わせるだろう。
それがゆえに、とてもまとまりのある「アンサンブル」ができあがるんだけれども、
印象としては、オーケストラ全体でひとつの楽器なのだ。各パートは、その一部。

MCOは、まったく違った。
一つ一つの楽器が集まって、オーケストラという集合体を作り上げている。
だから、たとえば強弱でも、オケ全体での音量を調整しているのではなく、
一人一人が、ppとかffとか、自分の出すべき音量をきっちり追求していて、
その結果としてものすごくメリハリのある演奏になっているのではないか、
そんなふうに感じた。
そして、ソロが本当にすばらしい。音量も、木管楽器ってあんなに音が出るんだ、と
本当に驚いたくらいだったし、協奏曲におけるソリストのごとく堂々とした演奏だった。

ハーディングさんはMCOの首席指揮者なんだけど、じゃあこの人が日本のオケを
振ったら、あるいはMCOを日本人が指揮したら、いったいどんな音楽になるのだろう、
と、来年のOEKの定期にハーディングさんが来るのがとても楽しみになった。

今回は休憩時間が25分もあって、そのあいだにハーディングさんが自ら募金箱を持って
ロビーにあらわれたりもしたのだけれど、そのあいだに、プログラムをゆっくり読んだ。
曲目紹介だけではなく、ハーディングさんの紹介、音楽ジャーナリストや音楽ライターよる
ハーディング論、MCOの紹介、来日直前レポート、豆知識Q&A、日本人オーボエ奏者
さんのインタビュー、MCOと競演したことのある錚々たるメンバーからのコメント、と
なかなか盛り沢山の内容で、じっくり楽しめた。
そして、MCOがもともとグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団のメンバーで、26歳の
年齢制限を超えても一緒にやろう、ということで結成されたことを知った。
なるほど、学生のあいだから、遠慮なしに、打算もしがらみもないところで情熱的に
音楽論をぶつけ合ってきた人たちの集まりだから、あれほどに個性的で、かつ、
とても一体感のあるオケになっているのか、とひどく納得した。
そして「チェンバー」オーケストラという名前も、編成以上に演奏姿勢の問題であり、
「マーラーやブラームスを演奏する際にも、室内楽を演奏するようにお互いの音を
聴き合い、精緻な音を作り上げることを目指しています」と書かれていて、
見当外れの印象ではなかったんだなと嬉しくなった。

そういう経緯を知ってみると、のだめカンタービレに出てきたR☆Sオケってこんな
感じだったのかな、とか、そんな風にも思えてとても楽しかった。
もともと、ハーディングさんは22歳からMCOの首席客演指揮者をつとめたり、
24歳の時にエクスでの音楽祭で脚光を浴びたりと、とても若い時から活躍していて、
ちょっと千秋くんを思い起こさせるなぁとか思っていたのだけれど、オーケストラもまた、
それぞれがソリストを目指している音楽学生たちが「音楽がやりたい! オケが
やりたい!」の一念で集まったR☆Sと見事にダブるではないか。

ああ、曲のことを全然書いてない。本当に泣けました。
そうとは意識する余裕もなくいつの間にか没入していて、翻弄されて、客観的に
聴いているというより、染め上げられて音楽の中に取り込まれてしまったような感じ。
泣けたというのも、感動したというか、音楽の高まりとともに、あるいは心に沁みいる
美しい音に、生理的に身体が反応した感じだった。
音楽が終わったとき、どれほど呆然としたことか。いきなりその音楽の中から
放り出されてしまったような、心許なさ。
そのまま1時間でも2時間でも客席に座ったまま放心していたいような
(実際そのくらいの時間放心状態でしたが)、そんな演奏でした。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。