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現代音楽、というもの [徒然]

昨日のコンサートに行ってから、とりとめもなく考えている。
現代音楽っていったい何なんだろう。
好きな人は、あの難解な、調性もリズムもよくわからない曲の、どこに惹かれるんだろう?
(現代曲の意義を否定してるわけではありません。ただ単に、私にはわからないという話。)

そもそも、弾き手がわとしてはどんな気分なんだろう。
現代音楽をやりたくて、クラッシック始めました、という人はいるんだろうか?
オーケストラのメンバーは、みんなこういうのにも抵抗はないんだろうか。

と思っていると、札響のチェリスト氏がタイミング良くも書いていらっしゃるのを見つけた。
http://blog.livedoor.jp/arakihitoshi/archives/51457534.html

なんだか譜割りもよく分かんないし、旋律がどこにあるかも分からないし、 聴いていても何拍子か分からないし、 どきどき打楽器がグヮ~~~ンとかいったりして、弦楽器がひょえ~~~~~ッと いったと思うと、木管楽器がピロロロ~~~~~となって・・、金管楽器が最後のほうで 派手にバフッ!バフーーー! とかなるわけです。

読んだ時、思わず吹き出してしまった。そうそう、ホントにそんな感じ。
それで、練習のときには、

最後まで弾き終えた後にオーケストラの頭上に、「なんじゃ?こりゃ?」の巨大な 「?」マークが浮かぶわけです。

あ、やっぱりそうなんだ。なんかすごく安心した。そうだよね、オーケストラの人がみんな
現代曲が好きとは限らないし、そもそもあれをすっと理解できるっていう人がいること自体
かなり私の頭では想像できない。
何度も練習する(あるいは聴く)うちにその価値がわかってくる、というのはあるのだろうが、
うーん、私にはその「何度も」がけっこうな苦行になりそうで、無理かなぁ。

だってねぇ、プログラムを見ていると、OEKのコンマスさんはかのストラディヴァリを
お使いだそうだけど、それであの軋んだ音とか出されると、うわーーーって思うわけですよ。
(昨日もその楽器を使われてたかどうかは知らないけど)
私にとっては楽器って「可愛がる」「愛でる」ものであって、美しく歌わせるものであって、
イジメて悲鳴を上げさせる趣味はないのだ。

不協和音にしても、伝統的にいわゆる不協和音とされてきたものの中に美しさを
見出して用いるようになった近代音楽は、私は大好きだ。調性にしても変拍子にしても、
近代は固定観念を破壊して新たな美と調和を追求している、と思う。
が、現代に行くと、美しくない響きをわざと追求しているわけで、クラスター奏法とか
とにかく音の固まり、それもぐちゃっとしたなんかよくわからない響きだけを指定していて、
作曲家の意図として「この音」「この響き」を出せ、というのではもはやなくなっている。
あらゆる秩序を打破しようとした先にあるのは、もはや混沌でしかなくて、
理解というのが自分なりの秩序づけであることを考えると、ひょっとしてそれはそもそも
理解できるものではないし、理解しようとしてはいけないものなのだろうか?

まあそれでも演奏者がわとしてはなんとかそれを親しみやすく観客に届けるのが
使命なんだろうから、本当にたいへんなお仕事だと思う。

ええと、こういう場合はトラックバックをすべきなんだよね…?
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