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Die Davidsbündlertänze [ピアノ曲]

庄司紗矢香さんが、室内楽グループ「新ダヴィッド同盟」を結成されたらしい。
http://www.arttowermito.or.jp/music/modules/tinyd1/index.php?id=74

ダヴィッド同盟といえば、ロベルト・シューマンの音楽評論に出てくる架空の団体である。
動を象徴するフロレスタンと静を象徴するオイゼビウスという二人を中心にした座談会の
形式で、彼は旧来の保守的な音楽をぶった切る評論を書いていたそうだ。
シューマンの評論によって注目されたのは、ショパンにブラームス、メンデルスゾーンなど、
名だたる音楽家が揃っている。

というわけで、庄司さんの新グループも、新たな、真の芸術の創造を目指した意気込みが
感じられる命名であるわけだ。

というわけで、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」。18の小品からなる初期のピアノ曲集で、
初版はフロレスタンとオイゼビウスふたりの名義で出版され、それぞれの曲には性格に応じて
F(Florestan)またはE(Eusebius)のイニシャルが記されていたそうだ。
(もちろん現在の楽譜はロベルト・シューマン名義である)

しかし、この曲は案外演奏される機会が少ない気がする。シューマンのピアノ曲のCDは
それなりに持っているが、この曲が入っているものはほとんどなかった。
演奏会でも、クライスレリアーナや謝肉祭、幻想小曲集あたりが定番で、ほかのはあんまり
聴くことがない。蝶々やアベッグ変奏曲もシューマンらしいいい曲だと思うのだけど。
ダヴィッド同盟舞曲集にいたっては、曲集名こそ知っていても、きちんと聴いたのはこれが
初めてかもしれない。
ともかくも、いかにもシューマン、というかんじの小品集である。


シューマンらしい、という言い方は語弊があるかもしれない。
ピアノコンチェルトのような、非常に安定した曲の完成度を誇るものもあるわけだから。
ただ、シューマンのピアノ曲には小品集が多く、それらにはかなり共通した印象を
個人的に抱いている。ひとことでいうと、「不安感」である。

ふつう曲の始まりは主和音からだが、シューマンの小品ではかなりの割合で主和音でない
不安定な始まり方をする。数小節後でようやく主和音にたどりついても、またすぐに不安定な
和音をさまよいだし、ころころと転調する。転調といっても、ワンフレーズが別の調になると
いうのではなく、本当にさまざまな調をさまようように移行して、調性も一定しないのだ。
また、シンコペーションの多用。ふつう、これはリズミカルな印象をもたらすものだと思うのだが、
シューマンにかかればどこが拍頭かが曖昧模糊としてきて、不安感を助長するのだ。
曲の終わりも、ちゃんと「終わった」という印象を与えないままふわふわと次の曲に移行したり、
いかにも途中で断ち切られたような唐突な印象であったり。

この舞曲集もそういった印象が強い。また、FとEの指示があったとはいうものの、
たしかにFは動きがあって、Eはわりと静かなメロディが多いのだけれども、いずれも、
やっぱりどこまでもシューマンだなぁ、と思うのだ。
フロレスタンとオイゼビウスは、シューマンの二面性を示す人格らしいので、それも当然かも
しれないが、それでもふたつに分けると、ふつうはもう少しそれぞれの特性が際立つような
気がするのだけれど… 動き回っても思索にふけっても、やっぱり非常に不安定。

この不安定さ、気まぐれというよりももっと神経症的な、常にひとつところにとどまらないで
まるで逃避しているかのような曲想は、個人的にはけっこう気に入っている。
しかし、人によっては、自分の中の不安感を変に掻き立てられてしまうのじゃなかろうか。
シューマンが特に好き、という人はそれほど多くないかもしれないが、シューマンは大嫌い、
という人に出会ったことがないのが、不思議だ。
よく知られているようで、意外に嫌われるほどには聴かれていない作曲家なんでしょうね。
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