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Die Davidsbündlertänze [ピアノ曲]

庄司紗矢香さんが、室内楽グループ「新ダヴィッド同盟」を結成されたらしい。
http://www.arttowermito.or.jp/music/modules/tinyd1/index.php?id=74

ダヴィッド同盟といえば、ロベルト・シューマンの音楽評論に出てくる架空の団体である。
動を象徴するフロレスタンと静を象徴するオイゼビウスという二人を中心にした座談会の
形式で、彼は旧来の保守的な音楽をぶった切る評論を書いていたそうだ。
シューマンの評論によって注目されたのは、ショパンにブラームス、メンデルスゾーンなど、
名だたる音楽家が揃っている。

というわけで、庄司さんの新グループも、新たな、真の芸術の創造を目指した意気込みが
感じられる命名であるわけだ。

というわけで、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」。18の小品からなる初期のピアノ曲集で、
初版はフロレスタンとオイゼビウスふたりの名義で出版され、それぞれの曲には性格に応じて
F(Florestan)またはE(Eusebius)のイニシャルが記されていたそうだ。
(もちろん現在の楽譜はロベルト・シューマン名義である)

しかし、この曲は案外演奏される機会が少ない気がする。シューマンのピアノ曲のCDは
それなりに持っているが、この曲が入っているものはほとんどなかった。
演奏会でも、クライスレリアーナや謝肉祭、幻想小曲集あたりが定番で、ほかのはあんまり
聴くことがない。蝶々やアベッグ変奏曲もシューマンらしいいい曲だと思うのだけど。
ダヴィッド同盟舞曲集にいたっては、曲集名こそ知っていても、きちんと聴いたのはこれが
初めてかもしれない。
ともかくも、いかにもシューマン、というかんじの小品集である。

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L'Isle joyeuse [ピアノ曲]

クロード・ドビュッシー作、「喜びの島」。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの絵画「シテール島への巡礼(もしくはシテール島への船出)」
にインスピレーションを得て作られたとされる、華やかな曲である。

「巡礼」なんていうイメージじゃないなぁと思っていたら、シテール島とは、アフロディテが
海の泡から生まれ、ゼフュロスに吹かれて流れ着いた島「キュテラ」のことで、すなわち
「愛と快楽の島」なんだそうだ。
つまり、シテール島への船出というのは、日頃のしがらみを離れて、南の島でヴァカンス
とアヴァンチュールにさあ出発、みたいなイメージなんでしょうね。

なんというか、フランス人らしいことで。パトリス・ルロワ氏も「フランス人は夏にはみんな
ヴァカンス先で恋をするんだ、もちろん既婚者でも」とNHKで力説してたしなぁ。
それでもって、この曲が作られたとき、まさにドビュッシーが教え子のお母さんと一緒に
妻を放ってヴァカンス中だった、というのが、なんともまぁ、という感じ。
(アヴァンチュールというわけではなく、後にお互い離婚したあと再婚してるわけですが)

のだめカンタービレでも「恋しちゃってルンルン♪の曲」と評されていましたが、
目眩く陽光、熱帯のあでやかな花が咲き乱れ、きらめく碧い海と白い砂浜が広がる、
解放感にみちたヴァカンスの空気がリアルにイメージされる。
もっとも、背景を知っていると、そこまで自由奔放に恋を満喫しちゃっていいのか?
と思わないでもないのだけれど。
暑い夏にうんざりするとき、気持ちだけでもヴァカンスの華やぎをかんじられる曲、
かもしれない。

http://www.youtube.com/watch?v=Q4LvR9IPwwI

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Prokofiev: Sonata No.7 [ピアノ曲]

一曲クラッシックの曲を選んでほしいと、お題をいただいた。
そのお題が、「闇,とか,暗黒とか,淵の底とか」。
それはそれはたくさんの曲が頭の中を駆け巡ったのだけれど、最終的に勝利したのは。
私の頭の中で、美しい魔王様が、うっすらと笑みを浮かべたのだ。
微笑、というにはあまりにも酷薄で、底知れない感じのする微笑だった。
で、そのイメージの元になったのが、プロコフィエフ作ピアノソナタ第7番、である。

クラッシックにはあまり馴染みのない人たちに聴かせるには、ちょっと刺戟が強すぎるかな、
と思わないでもなかったのだけれど、そこはお題がお題だから仕方がない。
と割り切って、少々ドキドキしながら持ち込んだ1曲だったけれど。
結果としては、逆に「これがクラッシック?!」という新鮮な驚きを与えられたようだ。

今回持って行ったのは、若きアレクサンダー・ガヴリリュクの演奏。
時間の関係で第2楽章は割愛したのだけれど、スピード感のある演奏は、
高性能の再生機器のおかげもあって、私も驚くほどの迫力だった。


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Islamey [ピアノ曲]

ロシア五人組のひとり、ミリィ・バラキレフの代表曲のひとつ、「東洋風幻想曲:イスラメイ」。
ピアノ曲で世界一の難曲は何かという質問に、必ず挙がる曲の筆頭でもある。
トランスクリプションではもっといっぱい音を増やして難しくなっているものもあるだろうが、
原曲でココまで、トランスクリプションに匹敵するほどに絢爛豪華な曲というのは、たしかに
あまりないと思う。そして絢爛豪華なだけにとどまらない、しっとりとした雰囲気もあり、
エキゾチックなメロディそれ自体の吸引力もある、本当に魅力的な曲である。


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Gaspard de la nuit [ピアノ曲]

先日、夜の犀川のほとりを歩く機会があった。
せせらぎの音に重なって聞こえる、自然のささやき、ざわめき、呼び声。
その兇暴なまでの声に、眩暈すら感じ、息苦しいまでの心地になった。

モーリス・ラヴェル作、「夜のガスパール」。
このブログのタイトルも、この組曲からとったものである。
ラヴェルは私がもっとも愛する作曲家で、その作品世界のあまりの巧緻さ、繊細さには、
本当に感嘆を超えて戦慄すらおぼえてしまう。
「夜のガスパール」は、アロイジウス・ベルトランの詩集「夜のガスパール――レンブラント、
カロー風の幻想曲」(これには芸術を求めた作者に悪魔が与えたものだとの幻想的な
散文が付されている)に着想を得た曲集で、「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」の
3曲からなっている。

第1曲、「オンディーヌ」、水の精。ベルトランの詩の大意は、オンディーヌが雨とともに人間の
男を訪れ、求婚する。しかし人間の男が、自分は死すべき人間の女を愛するのだと
その求愛を断ると、オンディーヌは涙をこぼし、哄笑とともに消えてゆく、というもの。

私はこの詩そのものからは、さしたる感銘を受けたことはない。
しかしラヴェルはこの詩に、何という美しい曲をつけたことだろう!
水の粒を一滴ずつ織り上げたような、精緻な反物の上に、描き出される世にも不思議な旋律。
それは単に幻想的とか神秘的というにとどまらない。
私たちのルールではない、しかし同じくらいに、あるいはそれよりもなお厳然とした、
かれらの世界の論理を感じさせるのだ。
どうして人間にすぎなかったはずのラヴェルが、このような旋律を生み出すことができたのだろう?

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Fantasie [ピアノ曲]

泣きたくなるほど美しい曲を聴いた。
その曲については私はほとんど知識の持ち合わせがないので、また機会があれば。
が、それ以来、今までに聴いた本当に美しい曲の数々が、次から次へと思い出されて、
脳内オーディオは止まる暇もないし、ふと気を抜くと涙ぐみそうになって困る。

ピアノの音は、美しく響かせれば、本当に世界一美しいと思う。
もちろん他の楽器の音もとても綺麗だし大好きなのだけど、そこは身びいきというか
マイ楽器が一番! というピアノ弾きのサガでもあるし、それになにより、「曲」ではなく
「音」そのものを追求すると、やっぱりピアノは別格だと思うのだ。

シューベルト「幻想曲」ヘ短調、D.940。4手のためのピアノ曲の中でも屈指の名曲。
これはそんなピアノの音の美しさを堪能できる曲のひとつだ。
特にデュオ・クロムランクの演奏は、本当に泣けるほどに美しい。
デュオ・クロムランクはベルギーで活躍していた夫婦ピアノデュオで、奥さんは日本人だ。
残念ながら、私がこのデュオを知ったときには二人はすでに亡くなっていたが、
本当に生で一度聴いてみたかった。
他にもいろいろなデュオがこの曲を演奏しているが、あれほどに美しい演奏は他に
聴いたことがない。

You Tubeでいろいろ聴いてみたが、やっぱりなかなかいい演奏はないですね。
Lang LangとMarc Yuの連弾がかなりいい線いっているが、ところどころ物足りない。
それにしてもこの二人、本当に表情豊かだなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=Iaui-JUhA1g

Concertino for 2 pianos [ピアノ曲]

電子ピアノには、録音機能がついている。
買う時には「弾けさえすればいいから余計な機能はいらない」なんて言っていたが、
ふと気づいてしまった。
録音機能があるということは、連弾でも2台ピアノでも、ひとりでできる!

というわけで、ショスタコーヴィチ作、「2台のピアノのためのコンチェルティーノ」。
大学時代にサークルの定期演奏会でやった、思い入れのある曲である。
当時は音源といえば作曲者と息子のマキシムのデュオくらいしかなかった、
あまり知られていないが、とてもステキな曲である。
最近マルタ・アルヘリッチがいろんな人と弾いたり、録音したりしているらしい。

↓ このキラキラしさとはっちゃけたリズムはさすがです、アルヘ姐さん
http://www.youtube.com/watch?v=izJ1HKQ-49o

ゆったりとした序奏は、はっきりした低音のユニゾンと柔らかい高音のメロディの掛け合い。
そしていきなりリズミカルに走り出す。ギャロップのような、テンポの良い伴奏にのって、
燦めくような華やかさをまきちらしながら疾走する。途中の短いアダージョをはさんで
最後までそのままのリズムで走りとおして、コーダはあっけないほどにあっさりと。
華々しくて、ジェットコースターのような、とにかくワクワクする曲である。
(ただし演奏がもたもたすると目も当てられない)

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お菓子の世界 [ピアノ曲]

先日、大学のとあるサークルの新歓演奏会を見に行った。
新入生向けのものなので、私が見に行くのは筋違いだけれど、
赴任前からちょっとしたご縁があったサークルで、誘っていただいたのだ。

感想は、正直なところ、かなりがっかりした。
ピアノそのものの問題もある。調律も調整もぜんぜんできてなくて、たいへん耳障り
だったが、それはまぁ学生さんでは仕方がないだろう。
ただ、カバーの仕様はあったと思うのだ。
アップライトピアノだったのだが、たとえば屋根を閉めるだけで、ガチャガチャした
感じはずいぶんと抑えられたはず。
弾き手の方でも、音がきつすぎるならソフトペダルを使用するなりなんなり、やりようはあるはずだ。
内輪とはいえ舞台に上がるなら、その場での臨機応変な対応ができる程度には
弾き込んでいるべきだと思うのだが、ピアノに合わせるどころのレヴェルではなかった。
練習不足の一言に尽きる。

私が思うに、新歓演奏会なんていうものは、超絶技巧をひけらかす必要はまったくない。
背伸びする必要もない。音楽をやっていて、どんなに楽しいかを示せばいいのだ。
それで思い出したのが、私の大学時代のサークルでの新歓演奏会だ。
ホルン3本のスーパーマリオ、2台ピアノの宇宙戦艦ヤマトは大ウケだったし、
まともなクラッシックでもみんなが聴いたことのあるメジャーな曲、しかも比較的短い小品を、
きれいに弾くだけで、じゅうぶん勧誘になる。

そのとき私が選んだのが、湯山昭の「お菓子の世界」だった。子供向けの作品集である。
1曲は1~2分で終わる。「バウムクーヘン」「マロン・グラッセ」「鬼あられ」「チョコ・バー」など、
美味しそうなタイトルの曲が目白押しで、小学生のころ、ずっと弾いてみたかったのだが、
機会に恵まれなかった。大学になって改めて弾いてみて、その面白さに取りつかれた。
技巧的にはまったく難しくない。それぞれのお菓子を本当によく表現している、バラエティに
富み、活き活きとした曲の数々に惚れこんだのだ。
それで、タイトルだけで興味をそそるこの曲集から何曲か弾いてみた。
みんながニコニコしながら聴いてくれたのが印象に残っている。

今でもこの曲集は大好きで、それからも折に触れて弾いたり、一時期は着メロを自分で
作ってみたりしていた。ちなみに作った着メロはJ研に投稿していて、ダウンロードしてくれた
人からは「昔弾いた曲で懐かしい」とか「子どもが発表会で弾くので」なんて感想をいただく。
本当は全曲制覇したいところなんだけど、時間がなかなか…

Pavane pour infante défunte [ピアノ曲]

モーリス・ラヴェル作、「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
5分ほどの小品ではあるが、非常に美しいメロディと和声が印象的な曲である。
オーケストラ版の方が演奏される機会は多いようだが、もともとはピアノ独奏曲。
私にとってはもっとも古い「レパートリー」である。

中学2年のときに、はじめてオーケストラ版を聴いてその美しさに感動し、楽譜を買いに走った。
ただ、当時ラヴェルはまだ版権が切れておらず、日本で手に入るのはフランスのデュラン社の
輸入楽譜のみだった。わずか4頁の楽譜のために、当時のお小遣いからするとたいへんきつい
2000円を支払い、手に入れた楽譜。どれほど感慨深かったかはご想像いただけよう。

そのとき以来、何度となく弾いている。いまでも時折、思い出したように弾きたくなる。
私の手では少し届ききらないところをいかに誤魔化すかもずいぶんと慣れて、
大学時代には「なんで1オクターブ届かないのにあの曲が弾けるんですか?」と
訊かれたこともある。

弾くこと自体は、難しくはない。ただ、美しく弾くことは、たいへん難しい。
幾重にも重なり合う音のひとつひとつをコントロールしきらないと、メロディが埋没したり
和音が出しゃばったり、フレーズの一部だけが突出したり、粒が揃わなかったりする。
特に後半部、高音のメロディが絡み合う部分は、透き通った音で弾くとため息が出るほど
綺麗なのだけど、ちょっとでも気を抜くと台無しになってしまう。

ラヴェルらしい優雅で繊細な曲、というのが一般的な評価らしいが、
私はある意味とてもラヴェルらしからぬ曲だと思う。
私はラヴェルを印象派の人だとは思っていなくて、きわめて冷徹な観察にもとづいて
計算されつくした緻密な構造を組み上げる、「印象」という語からはほど遠い人だという
感想を持っている。
その彼の、若気の至りなのか、唯一理性より感傷が勝った曲が、この曲だと思うのだ。
それでもなお、彼の鋭敏な感覚にもとづく冷徹な知性ははっきりと息づいていて、
過剰に感傷に流れてはいない、ギリギリの美しい抑制を保っている。
彼自身はこの曲の「亡き王女」をいろいろと憶測されるのを嫌ったとか、
この曲を駄作だと言ったというようなエピソードも耳にしたことがあるが、
想像するに、若いころに書いたラブレターを大人になってから見つけたような、
たまらない恥ずかしさがあったのじゃないかと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=oUpjlmj-cMc
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