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OEK・井上道義のショスタコ [コンサート]

2012年3月3日(土) 15:00~ @石川県立音楽堂コンサートホール
OEK第316回定期公演 フィルハーモニー・シリーズ

George Bizet=Rodion Shchedrin: カルメン組曲

  *  * 
Dmitri Shostakovich: 交響曲第14番 ト短調 Op.135

  アンナ・シャファジンスカヤ(Soprano)   ニコライ・ディデンコ(Bass)
  井上道義(Cond.)
  オーケストラ・アンサンブル・金沢


井上さんのライフワークともいえるショスタコーヴィチの交響曲。
これはなんとしてでも行かねば!と、実は他の用事があったところをぶっちして
いそいそと出かけた石川県立音楽堂。
ロシア音楽、と銘打ってはあったけれど、あんまりロシアっぽくない演奏会だった。
それもそのはず、2曲ともテーマはロシアじゃないですからね。


前半はシチェドリンの手による「カルメン組曲」。
ロシアのバレエ団で「カルメン」をモチーフにしたバレエが上演されることになり、
まずはショスタコーヴィチに、ついでハチャトゥリアンに、新たに曲をつけてくれる
よう頼んだのだが、いずれにも「ビゼーが怖い」と断られ、最終的にシチェドリンに
回ってきた。このときのプリマドンナが、シチェドリンの妻、マリヤ・プリセツカヤ。
しかし彼もビゼーが怖く、まぁカルメンというと誰の脳裏にもビゼーのメロディが
浮かんでくるので、無理もない。結局のところ、シチェドリンの手により、ビゼーの
素晴らしいパラフレーズが出来上がったのだ。

非常に多くの打楽器が使われていて、今回はいつも弦楽器が並ぶフロアに
ずらりとパーカッション。マリンバ、ヴィブラフォン、チャイム、カスタネット、
トライアングル、タンバリン、ウッドブロック、クラヴェス、カウベル、ギロ、
カバサ、大太鼓、ボンゴ、スネアドラム、シンバル、木魚、ムチ、などなど… 
この曲はなんと打楽器奏者が4人も必要なのだ。
実は年末、「クリスマス・パーカッション」と題したOEK室内楽シリーズ・もっと
カンタービレで、このシチェドリン編カルメンをさらにパーカッションオンリーに
編曲したものを聴いたのだが、今回のエキストラの打楽器奏者さんたちは
そのときのパーカッションアンサンブルのメンバーだったりする。
そしてふだんは管楽器の定位置の雛壇に、弦楽合奏団。
みなさんの顔がよく見えて、なかなか新鮮で良い。

序奏~ダンス(アラゴネーズ)~衛兵の交替~カルメン登場とハバネラ~情景~
間奏曲2~ボレロ(ファランドール)~闘牛士の歌~アダージョ~占い~フィナーレ。
今回は「間奏曲1」と「闘牛士とカルメン」は割愛された。
チャイムのはかなげな「ハバネラ」のメロディの断片に始まり、聴き覚えのある
メロディがこれでもかと盛り込まれ、しかもそれが新鮮極まりないという、
パラフレーズの醍醐味をめいっぱい味わえる作品である。
しかも、みんなが知っているメロディだからこそ、あえてそのメロディを消し去って、
お客さんの脳裏で響かせるという、心憎いテクニックまで使われている。
パーカッションは華やかに晴れやかに曲を盛り上げ、弦楽合奏は、…あれ?
いつものOEKの軽やかな印象と違って、なんだかめっちゃ艶っぽい。
特に「ハバネラ」の、くねくねのリズム。井上さん、なんだか色気満載すぎます。
そう、井上さんの「ダンシング指揮」も、一見の価値がある。
一曲が終わって、くるりと一回転してアインザッツ、とか、頭で指揮をしたり、
片手を腰に当てて直立不動になったり(衛兵さんですね)、腰でくいくいっと
リズムを取ったり。
聴いているこちらまで一緒にリズムをとりたくなるようなパーカッションの
歯切れよさと、弦楽合奏の、身体が吸い込まれるような気だるい色っぽさと、
もうサイコー!に楽しい音楽だった。

後半はショスタコーヴィチ。交響曲、とはいうものの、ソプラノとバスの二重唱と
弦楽器・打楽器の小編成による、11の「死」をテーマにした歌曲集である。
第1楽章「深き淵より」、第2楽章「マラゲーニャ」はスペインの詩人ロルカ、
第3楽章「ローレライ」、第4楽章「自殺した女」、第5楽章「覚悟して」、
第6楽章「マダム、御覧なさい!」、第7楽章「ラ・サンテ監獄にて」、
第8楽章「イスラムの王へ宛てたコサックたちの回答」は、フランスの詩人
アポリネール、第9楽章「ああデーリヴィク、デーリヴィク」はロシアの詩人
キュッヘルベケル、第10楽章「詩人の死」、第11楽章「結び」はドイツの
詩人リルケの、それぞれ詩に曲をつけたもの。
どれもが「死」を歌ったものであるだけに、ひたすらに暗いというか、重い。
が、ロシアっぽい、あるいはソヴィエトっぽい暗さではないのだ。
詩そのものがロシアのものはひとつしかないせいもあるけれども
(しかもそのテーマは古代ローマである)、内省的というか哲学的というか、
どっちかというとドイツのイメージだ。
この交響曲が作られたときには、すでにスターリンも死んでいて、それほど
圧力はなかったせいもあるのだろう。

今回、歌詞がオーケストラの頭上に電光で出てきたので、非常に見易かった。
オーケストラは、伴奏というよりは、とても映像的な、詩のストーリィの背景、
情景を描いているようなイメージだった。多彩な打楽器と、弦楽器もさまざまな
奏法で本当にいろいろな音を出していて、いつもはオーケストラを聴くと絵画を
思い浮かべることが多いのだけれど、今回は、本当に映像のイメージ。
スペインの乾いた赤い土、暗く不気味に流れるライン川、死体から生える百合、
監獄の真っ暗闇、腐敗した狂騒の宮殿…
言葉で紡がれるストーリィと、登場人物や語り手である二人の歌手、
オーケストラが描き出す映像が渾然一体となり、まるで映画を見ているかの
ような気分だった。
しかし、「交響曲」というそっけない標題は似合わない。
「死をめぐる11の断章」とかの副題をつければよかったのに、と思う。

ショスタコーヴィチは有名なわりには演奏されるのはわりと決まった曲ばかりの
印象があるので、またマニアックなのを聴きたいものだ。
井上さん、よろしくお願いします。
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